kojack-ferrariのクルマ道

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パワーは正義か? ~パワー至上主義に物申す~

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パワー競争の果てに

とにかく今のクルマ、特にスポーツカーの際限ないパワー競争にはいささかついていけません。

20年前くらいまでは、素人でもなんとか一般道で乗りこなせるレベルに抑えられていましたが、今ではレーシングカーをも遥かに超越するパワーやトルクを絞り出すエンジンが当たり前のように搭載され、数千万円のプライスが付けられているモデルで溢れていますね。

一体、こんなバケモノ、誰が乗るのかと興味津々ですが、所属するオーナーズクラブでもチラホラ乗り換えていらっしゃる方が増えてきました。

いくら電子デバイスで固めたクルマとはいえ、こんなハイパワーをどう手懐けるのか、メーカーはこの先も際限なくパワー競争を繰り広げるのでしょうか?🤔

クルマを操るということ

クルマを運転するということには二つの意義があります。

一つは、移動手段としてある地点から目的の地点までクルマを動かすということ。
もう一つは、クルマを操り、その性能を引き出して楽しむということ。

後者は趣味としての運転と言えるでしょう。

愛車の持つポテンシャルを限界まで引き出して、そのクルマが持つ能力を存分に味わう楽しさは、一度体験したら止められない中毒性のある快感です。

これは、主にサーキットやダートトラックなど競技場でないと実現できない遊びですが、自分との闘いでもあり、愛車との対話でもある、大変奥深い趣味だと思います。

kojackもこれまで25年ほどサーキットを走ってきましたが、では、果して現代のスポーツカーで限界を試すことができるかと自問すれば、その答えは言わずもがな…

車重が違うとはいえ、国内最高峰の『SUPER GT』GT500クラスのエンジンパワーが600psくらい。

それに対して、例えば「フェラーリF8」は720psと完全にレーシングカーを凌駕しています。

もちろんそれに合わせた足回りや車体設計がなされてはいますが、これをどこまで楽しめるのか、単純にギモンが湧いてきます。

パワーは正義か?

少し本題から逸れましたが、それではパワー至上主義が展開されていることは悪なのか?というと結論としては、そうではないと思います。

その理由のひとつは、技術の進歩、革新的な発明などクルマの進化の過程では大変重要なプロセスであること。

そして、最大の理由がテーマである「パワーは正義か?」という点になるのですが、パワーとは乗り手の人間性を試す ”禁断の果実” のようなもの。
大変魅力的で誘惑されますが、一度味わってみたら心のたがが外れ、行き着くところは破滅…

そんな側面とは別に、パワーこそ安全、危険回避の術であるともいえるのです。

一般的には事故に巻き込まれたらまずブレーキと考える方が多いと思いますが、実はアクセル(つまりエンジンパワー)で回避できることもあるのです。

kojackもその昔、ポルシェ・944ターボに乗っていた頃、高速道路で2回事故回避した経験がありますが、目の前をスピンするクルマを避けるには瞬間の判断力とパワーが必要。


レースでも事故回避のためにアクセリングで回避する光景を見かけますね。

「パワーは正義か?」と問われれば、それは正義であると答えます。
ただし、そこにはそれを操る人間の度量や自制心、モラルといった高い精神性が要求されるという前提でのこと。

くれぐれも誘惑に負けず、愛車のポテンシャルを引き出せるよう自分自身を鍛錬しましょう!

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