バチバチの時代
日産の代表的車種である「スカイライン」は、いつの時代も多くのファンから支持され、高い人気を誇っています。
その歴史は古く、源流を遡れば1957年、富士精密工業(後のプリンス自動車)より発売されたALSI-1型に辿り着きます。
プリンス自動車が日産に吸収された後の「スカイライン」にまつわる数々の伝説は、もう先刻ご承知のとおりであります。
本日ご紹介するクルマは、この名車「スカイライン」の系譜の中でもひと際不遇の時代に生まれながら強かに生き抜いた、5代目「スカイライン・ジャパン」(C210型)。
引用元:ベストカーweb https://bestcarweb.jp/feature/column/301411
何が不遇だったのか?
それは、「自動車排出ガス規制」と「ライバル」という二つの大きな壁。
この二つの要因は密接に関係しています。
最初の壁、「自動車排出ガス規制」が足枷となり、搭載するエンジンのDOHC化やターボを設定することができず、L20E型2.0L SOHC直列6気筒のおとなしいパワーユニットしか積めなかったこと。
これが二つ目の壁、「ライバル」であるトヨタ・セリカに揶揄される引鉄となります。
当時の自動車業界はバチバチにやり合う時代。
排ガス規制下でもDOHCエンジンを積んでいたセリカはそのCMで、
「名ばかりのGT達は、道を開ける」
と挑発したのです。
日本の風土が生んだ名車
スカイライン・ジャパンは、そんな時代にありながらも、先進的な水平ゼロ指針メーターや軽快な乗り味で、6気筒エンジンを設定する上級クラスのスポーツモデルが月に1万台以上の販売を2年続けて記録するなど、大ヒットと言われた先代「ケンメリ」に劣らない販売を記録し、ライバルであるセリカに大きく水を開けたのです。
さらに、排ガス対策を施した新型エンジンへの換装、そして、1980年4月、ギャレット製のT03タービンを装着したL20ET型ターボエンジンを投入して反撃に出ました。
引用元:ベストカーweb https://bestcarweb.jp/feature/column/301411
これで二つの壁を乗り越えたスカイライン・ジャパンは名実ともに「日本の風土が生んだ名車」となったのです。
バンパーの左側に裏文字で書かれた「TURBO」のロゴがカッコ良かった。
スカイラインの逆襲
しかし、ライバル、セリカにはやられっぱなし。
名車の称号を手に入れたスカイラインがこのまま終わるわけにはいきません。
そこで日産が打ったCMコピーがコレ。
「今、スカイラインを追うものは誰か」
見事な逆襲、リベンジ成功ですね。
スカイライン・ジャパンは、kojackが高校生の頃、先輩達がよく乗っていました。
もちろん族車でww
当時はダルマ(TA20型セリカ)やケンメリ(C110型スカイライン)が人気で、ジャパンの人気はいまひとつ。
kojackはS110型シルビアにお熱でしたが、同級生のNくんが卒業式の日にグリーンメタのジャパンを学校に乗りつけてきた時はちょっと羨ましかったなぁ。
引用元:ベストカーweb https://bestcarweb.jp/feature/column/301411
こうして今見ると、やっぱりイイですね、スカイライン・ジャパン。
ケンメリの面影を残しながらも、端正でシャープなボディラインが決まっています。
R31型GTS-Rなど限定モデルも惹かれますが、ジャパンを綺麗に乗るのもオシャレかもしれません。
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