エンブレムは語る
”人に歴史あり” といっても偉人さんの話ではありません。
ここは『kojack-ferrariのクルマ道』ですから、もちろんクルマのお話。
エンブレムってありますね。
そう、クルマの鼻先とかお尻の真ん中についているバッジのことです。
日本では自動車会社の社名やイニシャルを象ったものが多いのですが、ヨーロッパなどではちょっと変わったものが多いですね。
馬や牛、サソリや蛇といった動物系から記号のようなものまで様々。
もちろん社名をデザインしたものもありますが、凝ったものが多い気がします。
このエンブレム、そのデザインや形に至った理由があるわけですが、そこには数奇な運命や興味深いエピソードが秘められています。
エンブレムが語る数々のストーリー。
一つずつ紐解いていきましょう🙋
黒い跳ね馬はどこから?
最初に語るのは、やはりフェラーリ。
ご存知の方も多いと思いますが、”キャバリーノ・ランパンテ” (伊語で「跳ね馬」の意)がその象徴です。
この跳ね馬には数奇な運命が…
物語の始まりは第一次世界大戦まで遡ります。
当時、イタリア軍に「撃墜王」と呼ばれたエースパイロット、フランチェスコ・バラッカという人物がいました。
戦中、ドイツ軍機を34機撃墜し、空中戦の末戦死した彼の愛機には、撃墜したドイツ軍機に付されていた ”跳ね馬” の紋章が貼り付けられていたといいます。
時は過ぎ、1923年。
フェラーリ社の創始者となるエンツォ・フェラーリは、アルファロメオのレーシングドライバーとして、イタリア・ラヴェンナ市で開催された「第1回チルクィット・デル・サヴィオ」で堂々の初優勝を飾ります。
この雄姿を間近で見ていたのが、フェランチェスコ・バラッカの父であるラヴェンナの名門、エンリコ・バラッカ伯爵。
伯爵はエンツォを自邸に招き、そこでバラッカ夫人より息子の遺品であるパーソナルマークの ”跳ね馬” を授けたとされています。
その後、アルファロメオから独立し、自らの名を冠した自動車メーカーを立ち上げたエンツォ・フェラーリは、出身地、イタリア・モデナ県のカラーである黄色をベースに、バラッカ家より授かった黒い ”跳ね馬” とイタリア国旗をあしらったエンブレムをデザインし、販売するクルマに飾るようになります。
しかし、この伝説には諸説あり、フランチェスコが所属していたイタリア陸軍第2騎兵連隊の部隊章である ”跳ね馬” を愛機のパーソナルマークとし、その後、スクーデリア第91a部隊に所属した際に部隊章として引き継いだという話も…
いずれにしてもフランチェスコ・バラッカに由来するこの黒い ”跳ね馬”。
そのルーツにこそ、その後、現在まで至る数奇な運命が隠されているのです。
袂を分かった跳ね馬のルーツ
フェラーリが黒い ”跳ね馬” をそのエンブレムに取り入れた経緯は前章で詳説しましたが、フェラーリのライバルともいえる世界屈指のスポーツカーメーカーにも黒い "跳ね馬" があしらわれています。
それがコチラ👇
引用元:Car Me https://car-me.jp/articles/885
そう、ドイツの名門、ポルシェです。
よく見ると、中央に黒い ”跳ね馬” が鎮座しています。
これこそ、”跳ね馬” のルーツ。
ベースカラーのゴールドは豊かさ、豊穣を表し、中央の ”跳ね馬” はポルシェ社が本拠を置くシュトゥットガルト市の紋章が馬であったことから採用されました。
ちなみに「シュトゥットガルト」とは、独語で「馬の園」を意味するそう。
そして、馬の周囲にある赤と黒の縞模様、3本ずつ並ぶ鹿の角はシュトゥットガルト市があるバーデン=ビュルテンベルク州の紋章で、黒は「森」を、赤は「知性」を表現していて、エンブレムをデザインしたポルシェ社の創始者であるフェルディナンド・ポルシェ博士が、自社とシュトゥットガルト市の繁栄を願ったものではないか、とも言われています。
もうお分かりのとおり、前述の撃墜されたドイツ軍パイロットはシュトゥットガルト市出身であったため、愛機にこの ”跳ね馬” を付していたというワケ。
そして、戦争という悲劇の中、数奇な運命を辿った”跳ね馬” は、奇しくも世界的なスポーツカーメーカーとして後のライバルとなるフェラーリとポルシェのエンブレムに収まるのです。
いかがでしたか?
エンブレムに秘められたヒストリー。
今なおライバルであるフェラーリとポルシェのエンブレムに使われている跳ね馬が、元を辿れば同じものだったとは!😱
創始者が歩んできた歴史の起源には興味深いストーリーが隠されています。
まだまだたくさんご紹介したいのですが、今日はこの辺で。
次回はどのメーカーのエンブレムの歴史が解き明かされるのでしょうか⁈
お楽しみに~😄
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