イタリアの誇りたる所以
Ferrari
イタリアの誇りと称される自動車メーカーにして、今なお頂点を極めんとするF1コンストラクター。
その歴史は、1947年に幕を開けました。
アルファロメオのレーシングドライバーだった創始者エンツォ・フェラーリは、数々の戦績を残しながらもこのチームを去ることになり、自らレーシングカーの製造に乗り出します。
フェラーリの名を冠した記念すべき最初のモデルは、『125S』
この125Sはローマグランプリに出場するといきなり優勝という快挙を成し遂げ、フェラーリは一躍有名になりました。
その後、1950年に始まったF1世界選手権(F1GP)に参戦。
翌年のイギリスグランプリで初優勝を飾ります。
その歴史は、スクーデリア・フェラーリ(フェラーリ・レーシングチーム)のエンブレムとともに現在まで受け継がれています。
レースに人生を賭け、数えきれないほどの勝利と栄光を手にしたエンツォ。
その精神はレーシングカーのみならず、全ての市販車にも…
70年以上にわたり、世界の頂点を極めるレーシングカーやスポーツカーを輩出し続けることが、”フェラーリこそイタリアの誇り” と称される所以なのです。
美しきストラダーレ
エンツォはレース活動資金を稼ぐため、市販車としてのスポーツカーを製造してきました。
当初は型落ちのレーシングカーをディチューン(性能を抑制する改造)した市販車を富裕層向けに販売。
この頃の特徴として、フェラーリはエンジンやシャシーは製造するものの、ボディはカロッツェリアと呼ばれるボディデザイン・製造業者に依頼する形を取っていました。
いくつかのカロッツェリアと契約して製造するため、同じモデルでも担当するカロッツェリアによって全く違うデザインが生まれることになります。
そんな中、カロッツェリア・ピニンファリーナは優れたデザイン性を活かした、美しいストラダーレ(市販車)を次々に発表。
エンツォより絶大な信頼を得て、1952年から現在までその関係は続いています。
カロッツェリア・ピニンファリーナの代表作といわれるモデルは、250GTO、Dino246gt/gts、365GTB/4デイトナ、308GTB/GTSなど…
いずれのモデルも秀逸なデザインで、常に時代をリードする美しきストラダーレであったことは間違いありません。
愛すべき ”黒い跳ね馬”
kojackがフェラーリの存在を初めて知ったのは11歳の頃。
世はスーパーカーブームで、日本中がその渦に巻き込まれ、後楽園球場(現東京ドーム)や晴海国際見本市、果てはデパートの駐車場までがスーパーカー展示会の会場と化していました。
そこでひと際輝きを放っていたのが、フェラーリ512BB。
そのオーラたるや『007/ロシアより愛をこめて』のダニエラ・ビアンキのように、直視してはいけないような妖光を纏っていましたね。
この時代、308GTB/GTSがデビューして間もない頃で、その後愛車となる328GTB/GTSの誕生には約10年の歳月を要するのですが、この時すでに心は決まっていました。
”オトナになったらフェラーリに乗る”
と。
価値観も金銭感覚も何ひとつものさしを持たないコドモでさえ虜にする、フェラーリの魔力ともいえる魅力。
時代に翻弄され、時には投機対象となり、乱高下を繰り返すプライスとは裏腹に、ノーズに埋め込まれたキャバリーノ・ランパンテ(黒い跳ね馬)のエンブレムは常に煌々とした輝きをたたえ、凛とした姿を見せるフェラーリ。
このクルマのステアリングを一度でも握ったら、
生涯愛さずにはいられなくなります。
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