新たな伝説の幕開け
本棚をゴソゴソしていたら、レースパンフレットが出てきました。
『1991 インターTEC』のパンフ。
この頃はいろいろなレースを観戦してしましたが、特に印象深いのがこのインターTEC。
インターTECとは、INTERNATIONAL TOURING CAR ENDURANCE CHAMPIONSHIP IN JAPAN(国際ツーリングカー耐久レース)の略称。
1985年から1993年までがGr.A(グループA)規定によるセミ耐久レース、1994年から1998年までがFIAクラス2規定(2Lの4ドア車両)によるスプリントレース(×2レース)で、全日本ツーリングカー選手権(JTC/JTCC)のうちの一戦という位置づけで毎年富士スピードウェイで開催されていました。
わけても1993年までのGr.Aは最高に面白かった。
この頃、スカイラインGT-R(R32)が発売され、レースシーンでも1990年に復活。
それまでフォードシエラ500にやられっぱなしだったインターTECでしたが、遂にその終止符を打ったのが ”日本一速い男” 星野一義選手の駆るカルソニックスカイラインでした。
そして、1991年11月10日、星野一義/鈴木利男組の#1 カルソニックスカイラインは連覇を達成✨
この瞬間、スカイラインGT-Rの新たな連勝伝説が幕を開けたのです。
division1も2もワンメイク
このインターTECというレースは、クルマの規定によってdivision(クラス)が分かれているのですが、トップクラスのdivision1はスカイラインGT-R、次のdivision2はBMW M3のワンメイク状態。
それほどこの2台が強かったということですが、それでも面白かったのは各チームのエースが個性的でこれぞレースという戦いを繰り広げていたからかもしれません。
division1では、日産のエース、長谷見昌弘選手と星野一義選手、次代のエース候補だった影山正彦選手や ”平成のドリキン” 土屋圭市選手など華やかな顔ぶれ。
division2には、チャンピオン、故・ローランド・ラッツェンバーガー選手や福山英朗選手、”マッチ” こと近藤真彦選手の顏も見えます。
とにかく強いスカイラインGT-R。
どこまでも攻め続ける星野選手の熱い走りに心躍らせていましたね。
ツーリングカーの原点、Gr.A
今、SUPER GTがアツいですが、やはり原点はインターTEC(JTC)といえるでしょう。
時代は違えど、チーム、レーシングドライバー、メカニック、そしてファンが一体となって戦いに挑み、そして燃える。
ギリギリのブレーキング競争、コーナリングの競り合い、スリップストリーム…
レースの醍醐味や楽しさを教えてくれたのはインターTECでした。
withコロナ時代となってレース観戦の形も変わってきましたが、来シーズンはサーキットへ観戦に行ってみようと密かに思っているkojackです。
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