免許の意義が問われている
2022年10月15日のニュース。
軽乗用車を無免許運転し、歩道を約100メートル暴走したとして、香川県警は14日、高松市内の自称建設業の男(21)を道路交通法違反(通行区分違反)容疑で書類送検した。
暴走する様子の動画は、目撃者がツイッターに投稿。
この直前にも数回、男の車が歩道を暴走していたことが判明したという。
県警が詳しく調べている。
発表では、男は9月23日午前9時半頃、高松市国分寺町の国道沿いにある歩道約100メートルを、軽乗用車で無免許走行した疑い。
「赤信号で止まるのが嫌だった」と容疑を認めている。
引用元:軽で歩道100m暴走、書類送検された男「赤信号で止まるのが嫌だった」 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)
お読みいただければお分かりのとおり、言語道断の非道です。
事もあろうか自動車で歩道を暴走。
その理由が、
「赤信号で止まるのが嫌だった」
誠に身勝手極まりない、稚拙で短絡的な思考によって、大変危険な違反行為が行われました。
実は、同様の事例が全国で報告されています。
その理由も似たり寄ったりでしょう。
この記事を読んで最初に感じたのは、処罰の根拠となった道路交通法違反(通行区分違反)の妥当性。
容疑者は、「赤信号で止まるのが嫌だった」と容疑を認めているわけです。
つまり、道路交通法の大原則である赤信号は停止しなければならない、というルールを守る気がないということ。
そのような者を単なる「通行区分違反」で簡単に処理して終わりでよいのでしょうか?
そもそも免許制度とは何でしょう?
道路交通法第97条にはこうあります。
運転免許試験は、免許の種類ごとに次の各号に掲げる事項について行う。
つまり、自動車や二輪車を運転するにあたり、必要な知識や技能だけでなく、運転適性=法律やルールを守り、マナー良く安全に運転することができる人間か否か、という点まで試験で試し、それに合格できたら免許が与えられるということ。
裏を返せば、適性のない人=運転不適格者には免許は与えてはならないのです。
にもかかわらず、試験の時だけ猫を被って誤魔化し、免許を取得したら身勝手に赤信号も無視して歩道を暴走…
それを捕まえても、通行区分違反の書類送検では、このような運転不適格者を更生させることなど永遠にできませんよ。
今、運転免許の意義が問われているのです。
適性が最も重要
ここ数年、話題になっているあおり運転。
これは自動車運転処罰法の改正で多少厳しく取り締まられるようになりましたが、このような危険で迷惑な行為を行う人間も明らかに運転適性のない者に認定されるでしょう。
前述の運転免許試験での三つの試験項目のうち、最も重要なのは運転適性です。
その理由は、どんなに知識があろうとも、運転技術が優れていようとも、適性を欠いた人間ではその力も正しくは発揮できないから。
交通社会とはルールとマナーの上に成り立っているもの。
運転者も歩行者も全員で、これらを遵守して行動しなければ事故が発生し、命を落とすことにもなるのです。
道路交通法をはじめとする関係法令や状況を判断し安全を確保する行動=交通マナーを守れない人は交通社会不適格者となります。
一般社会で刑法を守れず人を殺した人はどうなりますか?
社会不適格者として刑務所へ収監され、更生のため懲役刑を科されるでしょう。
交通社会不適格者も同じようなものです。
身勝手な行動でいつ人を殺すかわかりませんので。
今、免許制度や運転適性の在り方が問われているのだと思います。
少しでも快適で安全な交通社会実現のためには、現状に即した法制度の改正が必要だと強く感じます。
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