数奇な運命
『人に歴史あり ~エンブレムは語る~』の第5弾は、数奇な運命を辿ったイタリアの自動車メーカーのエンブレムに関する由来を調べてみました。
一つは、黒い跳ね馬の永遠のライバルと目される、あのメーカー。
もう一つは、黒い跳ね馬の生みの親といわれる、あのメーカー。
もうお分かりですね😉
ランボルギーニとアルファロメオ、このイタリアンな二つのエンブレムの歴史。
その扉を開いてみましょう。
初めから
まずはランボルギーニから。
フェラーリとのライバル関係はもう誰しもが知るところですが、その発端も有名ですよね。
ランボルギーニ社の創始者、フェルッチオ・ランボルギーニは、それまで経営していたトラクター製造会社で成功を収めたことで財力、技術力を得、そして何よりスポーツカー愛好家でした。
彼はフェラーリオーナーでありましたが、当時のフェラーリは故障が多く、度々のトラブルに悩まされていたそうです。
そんな折、度重なるクラッチトラブルを解消しようと自社工場で愛車フェラーリを分解してみると、なんと自社のトラクターと同型のクラッチが採用されていたことに気づきます。
しかも、フェラーリ社からその部品を取り寄せてみると、10倍もの金額を請求されたことに憤慨し、打倒フェラーリの炎を胸に1962年にランボルギーニ社を設立。
引用元:MOTA https://autoc-one.jp/knowhow/5006255/photo/0008.html
その象徴ともいえるエンブレムは、ファイティングブルと呼ばれる猛牛をモチーフにしています。
この由来ももうご存知の方も多いと思いますが、諸説というか二説が有力のようです。
その一つが、会社設立の中でご紹介したエピソードである愛車のクラッチトラブルとそれに対するフェラーリ社の対応に不満を抱いたフェルッチオが『跳ね馬』への対抗心として猛牛を採用したという説。
また一つが、フェルッチオ・ランボルギーニの星座が牡牛座であり、闘牛のイベントに参加するほどの闘牛好きであったことやブランド戦略として猛牛を採用したのではないかという説。
現在では後者が一般的とされているようですが、いずれにしても元はフェラーリ好きでオーナーだったフェルッチオは初めからライバル心メラメラ🔥だったということですね。
紆余曲折を経て
さて、今度はアルファロメオです。
そう、”イタリアの魂” ともいわれるこのメーカーは、様々な紆余曲折を経て現在に至るわけですが、エンブレムは創業当初から基本的なデザインは変更されていません。
引用元:Idea Web Tools
https://www.idea-webtools.com/2015/06/ALFA-ROMEO--emblem-2015.html
それでは、アルファロメオ社の生い立ちや変遷から見ていきましょう。
その起源は古く1910年まで遡ります。
フランスの自動車会社ダラックと、ミラノのウーゴ・ステッラらが、ダラックのイタリア法人「S.A.イタリアーナ・ダラック」を設立。
その一方でステッラらミラノの企業家集団が、1910年1月、関連会社として「ロンバルダ自動車製造株式会社」(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili 、A.L.F.A.)を設立したことにより、アルファロメオの歴史が始まるのです。 まずはアルファだったんですね
その後、1918年に実業家二コラ・ロメオが自ら経営する会社に吸収合併し、二コラ・ロメオ技師株式会社と社名変更されます。
ただし、ブランド名として従前の『A.L.F.A』に『ROMEO』を加え、新ブランド名を『ALFA-ROMEO』とし、ここで現在のアルファロメオが誕生するわけです。
創業当初より高い技術力を有したアルファロメオはレース活動にも注力し、数多くのレースで優勝、エンツォ・フェラーリをはじめとする名ドライバーを輩出します。
1933年、世界恐慌の煽りを受けイタリア産業復興公社傘下となり事実上国営化されると、戦闘機用エンジンの開発・製造を担うことに…
第二次大戦後は、自動車メーカーとして復興し、1947年には「6C 2500」、1954年には「ジュリエッタ」、続く1962年には名車「ジュリア」などを誕生させますが、1986年のフィアット傘下入りまでは国営化が継続。
その後、70年代、80年代は不遇の時代で何をやっても上手くいかずジュリアで得た信頼と人気も失ってしまいます。
しかし、民営化後の90年代に入り登場した「155」がBTCC、DTMといったヨーロッパのツーリングカー選手権で大活躍し、1997年、ワルター・デ・シルヴァの意欲的なデザインによる美しいFFセダン「156」のヒットで再び人気とその地位を取り戻し、現在に至ります。
と、まあ数々の紆余曲折があって、今人気の二代目ジュリアに繋がるわけですね😅
エンブレムの話ですが、創業の地ミラノ市の市章セント・ジョージズ・クロスと同地の貴族であるヴィスコンティ家の紋章であるビショーネ(人を食う大蛇)を合わせたデザインで、この構成は最初から変わっていません。
時代により周囲の文字が「ALFA MILANO」や「ALFA ROMEO MILANO」となっているものもありますが、1972年からは現在のように「ALFA ROMEO」とされました。
さすが老舗メーカーだけにちょっと長くなりましたが、エンブレムにもその歴史が感じられますね。
まだまだたくさんご紹介したいのですが、今日はこの辺で。
次回はどのメーカーのエンブレムの歴史が解き明かされるのでしょうか⁈
お楽しみに~😄
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